コラム

巨大メディア、その喪失のドラマ 手嶋龍一 (外交ジャーナリスト・作家)

ケネディ大統領の頭部が狙撃されて血潮が飛び散り、やがて容疑者としてリー・オズワルドが拘束される。続いて警察署の地下駐車場から移送されるオズワルドがジャック・ルビーに射殺されてしまう─。沈痛な面持ちのジャーナリストは、テキサス・ダラスで相次いだ世紀の凶劇を淡々と伝えて淀むところがない。決定的瞬間を伝えるあの日々のリポートを資料映像で見たことがある。CBSのダラス支局から中継放送を担ったのが、若き日のダン・ラザーだった。ハリケーン・カーラの報道ぶりがCBSの名アンカーマン、ウォルター・クロンカイトの目に留まり、CBSに引き抜かれて、運命の日を迎えたのだ。
傑出したジャーナリストに欠かせない資質のひとつは、大事件の現場に居合わせることだという。ケネディ暗殺こそ、燃えたぎるような野心を滾らせていたダン・ラザーをホワイトハウス特派員から、やがてクロンカイトが担っていたCBSの「イブニング・ニュース」のアンカーへと押し上げる端緒となった。あのダラスの惨劇から40年、ダン・ラザーはアメリカのジャーナリズムを代表する存在となった。そして皮肉にも、同じテキサス出身の共和党大統領に挑みかかり、凋落の坂道を滑り落ちていった。2004年9月8日に放送されたCBSの看板番組「60ミニッツII」をいまも鮮明に覚えている。当時、私はNHKワシントン支局長として大統領選挙のゆくえを追っていた。共和党の現職大統領、ジョージ・W・ブッシュ候補に民主党のジョン・ケリー候補が挑んだ戦いだ。イラク戦争の是非が最大の焦点となっていた戦いの勝敗を左右しかねない「スクープ」だった。
ブッシュ大統領は、ベトナム戦争のさなかの1968年から6年間、テキサス州空軍にパイロットとして勤務した。テキサスならベトコンに撃ち落とされる心配はない。当時、有力な連邦下院議員だった父親の政治的影響力を使って、ベトナム行きを逃れたのさ──と囁かれていた。対するケリー候補は、哨戒艇に乗り組んで負傷したベトナム戦争のヒーローだった。後にベトナム反戦運動に転じたものの、ベトナム戦争の最前線に身を置いた経歴は光り輝いていた。ダン・ラザーがアンカーマンを務める「60ミニッツII」は、ブッシュ大統領が兵役を怠っていた事実を裏付ける決定的な証拠書類を入手したと報じたのだった。ブッシュ青年は、州兵としての責務を投げ出して、共和党候補の選挙運動を手伝っていたという。番組では、これを裏付ける軍関係者の証言インタビューも併せて放送したのだった。放送後の反響はすさまじかった。われこそは調査報道の雄なり。CBSの「60ミニッツII」がそんな自負を漲らせて放った渾身の「スクープ」だった。ニューヨークタイムズをはじめ有力各紙も一斉に動き始めた。

『ニュースの真相』では、ロバート・レッドフォードが、自信に満ち溢れたダン・ラザーを巧みに演じている。あの日、宿敵ブッシュ大統領に痛打を浴びせたアンカーマンの表情とぴたりと重なって見えた。だがアンカーマンと番組スタッフが勝利の美酒に酔っていたのはほんの一瞬だった。証拠書類の活字の書体はタイプライターのそれではない──こんな指摘が寄せられた。書類は幾度にもわたってコピーされ不鮮明に加工された偽物だというのである。CBS側は第三者委員会を設けて独自の検証を行った結果、問題の書類は偽造されたものだと断じ、ダン・ラザーも番組で釈明をせざるを得なくなった。こうして、リベラルなジャーナリストの象徴的な存在だったダン・ラザーは、ついにアンカーマンの座を降りることになる。『ニュースの真相』は、伝説のジャーナリストが辿った栄光から挫折への道程をリアルに描いている。アンカーマンは、一線のジャーナリストと決定的に異なる宿命を背負っている。放送の取材、編集、送出の多くをプロデューサーはじめ番組スタッフに委ねざるを得ない。膨大で多様なニュースを、自ら取材するわけにはいかないからだ。問題の番組でも、取材の責任者は、CBSのプロデューサー、メアリー・メイプスだった。11月の大統領選の投票日に近づいて放送すれば、ブッシュ追い落としにCBSが加担していると映ってしまう。9月の上旬がぎりぎりのデッドラインだった。だが放送を先に延ばせば、ライバル局にネタが持ち込まれてしまう恐れもある。メアリー・メイプスは、胃をきりきりと苛まれるようなプレッシャーのなかにあった。アメリカ女性の憧れのポストである有力番組のプロデューサー役をケイト・ブランシェットはじつにさりげなく演じている。私がブッシュ大統領に同行してヨーロッパ各地を転戦中のことだった。ニュースの締め切りが迫っていたため、懸命にキー・ボードを叩いていた。同行の女性特派員が大声をあげて怒っている。どうやら対象は僕らしい。
「あなたが座っているイスは私のものよ。もう何時間も前から場所取りをして机に会社名も貼っておいたはずよ」だが、彼女の席はすぐ後ろで、デスクには殴り書きした紙も置かれてある。場所取り症候群に侵されていたのだった。アメリカのメディアに働く者は想像を絶する競争に曝されている。新聞記者は名もなき地方の新聞社から、放送局に働く者は小さなローカル局から、垂直の壁を攀じ登るように頂きを目指していく。記者ならホワイトハウス特派員かアンカーマン、プロデューサーなら3大ネットワークの有力ニュース番組が目指すべき頂上なのである。そのためには特ダネをものし、同僚を蹴落とし、上層部にも認めさせなければならない。日々神経をすり減らし、家族を犠牲にし、健康さえ蝕まれる。すべてを差し出しても悔いのないほどの達成感を得られるのだろう。しかし、頂上にたどり着いても、ポストを守るためには次なるスクープが必要となる。新たな獲物が照準に入り始めた時、見えない危険が忍び込む。途方もない獲物には意図的に仕組まれた罠が潜んでいる。だが功にはやったスナイパーには落とし穴が見えない。『ニュースの真相』は巨大メディアの喪失の物語なのである。

プロフィール:手嶋龍一 (外交ジャーナリスト・作家)

NHKワシントン支局長として9・11同時多発テロ事件に遭遇し、11日間連続で中継放送を担う。2005年に独立して『ウルトラ・ダラー』『スギハラ・サバイバル』を発表しベストセラーに。『インテリジェンスの最強テキスト』(佐藤優氏との共著)など著書多数。